イタリア旅行記2011

2011年6月19日~6月28日の10日間、夫婦でイタリアに行った旅行記です。

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プロローグ

私は過去に1992年4月と2007年9月の2回、仕事がらみ(とは言ってもほとんど仕事ではない)でイタリアを訪れている。
イギリス、ドイツ、オランダ、フランス、スイス等も訪れたが、イタリアにはもう一度行きたいという思いが強く旅行の機会を窺っていた。

そうしたところ、奥さんが「一緒に行ってもいいよ」ということなので、昨年11月より具体的な計画を練り、今年3月17日出発のtrapics「スイス航空ビジネスクラス利用イタリア10日間」のツアーを申込んでいた。

ところが3・11東日本大震災である。

旅行出発直前の14日、突然の催行中止の連絡が来た。スイス航空が南回りに航路変更して香港経由となり、イタリア到着が1日延び、後のやり繰りがつかないとのことである。
朝早い出発なので成田に前泊予約していたホテルのキャンセル、レンタルスーツケースのキャンセル、旅行者保険のキャンセルと慌しい予約キャンセルだが、それ以上に昨年11月から奥さんと仕事の休みを調整しながらやっと決まった日程での旅行である。
上司は多少日程や目的地を変更してでも他のツアーを探して行ったらどうかと温かい言葉をいただいたが、奥さんの仕事休みの調整がどうしてもつかない。泣く泣く中止となったのである。
ただ、日本が大変なあの時期に無理やり旅行に行っても残した子供や孫、愛犬も心配だし、顰蹙も買い、決して楽しくはなかっただろうと思う。

しかし、私は諦めない。
もう1度二人の休みを調整し、旅行社のツアーを調べまくった。
その中で最終候補で残ったのはJ社のイタリア4都市ツアー8日間、N社のBestイタリアの休日8日間と今回行ったtrapicsの仰々しいタイトルの「アリタリア-イタリア航空往復直行便、ビジネスクラスで行く憧れのイタリア10日間」である。

価格は前2者が30万円台後半、trapicsが(キャンペーン価格とのことだが)40万円前半である。前2者をビジネスクラスに変更するとプラス30万円以上アップするので、ビジネスクラス利用と10日の旅行期間を考えると格安だ。
ただ、内容を細かく見ると、滞在ホテルが訪問都市の市中ではなく郊外だったり、ホテルグレードがもうひとつのような気がしたり、価格に見合った内容の差はあるのかなとも思えた。
ビジネスクラス利用で今まで行っていない南イタリアを訪れ、オプショナルツアーを含めた価格差でtrapicsに決定となった。

忙しいツアーである。「旅行行程」を見てもわかるが、実質7日間でローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノ、ナポリ、ポンペイ、カプリ島、アマルフィー海岸、マテーラ、アルベロベッロを訪れるのだ。
ミラノ→ナポリの航空移動を除くバス(1人2座席利用)での主な移動距離は6日間で1800km、1日平均300kmの移動距離だ。

どのツアーも一長一短はあるものと割り切り、まだ行ったことのないカプリ島(青の洞窟)、アマルフィー海岸、マテーラ、アルベロベッロに期待しての出発となった。

1日目 2011年6月19日(日) 成田発 ローマへ

旅行が近づくにつれ、また何か起きて中止になるではとヒヤヒヤで迎えた出発日。
車で成田まで行き、格安駐車場(10日で\3,000)に預けて空港に入ったが出発ロビーはガラガラ状態。
たまたま混んでない時間帯なのか、旅行客減少なのか?
ともかく私たちが乗る13:15アリタリアAZ785便ローマ行きは定刻どおりのようで一安心。

初めてのビジネスクラス。出発ロビーの「SKY CLUB」というラウンジが使えるのだ。ワイン、ウイスキー、サンドイッチ等がセルフでいただけます。私たちは赤・白のワイン、サラダ、海苔巻きで軽く一杯。

ビジネスは優先搭乗で最前部専用搭乗口だ。ちょっと優越感・・・。

離陸前から飲み物サービスがあり、発泡のワインをいただく。写真は離陸後の昼食サービスの様子。
メニューは、生ハム、チーズ、パスタ、ホロホロ鳥オーブン焼き・・・
CAが何人いるのかはわからないが、かなりの人数がビジネスクラスにかかりっきりのようだ。シートも間隔はエコノミーの約2倍、値段が2倍以上なのもわかる気がする。

昼食後、5時間くらいは寝たのかな?シートはほぼフラットまでリクライニングするので良く眠れた。
あまり寝すぎるとローマ到着が現地時間19:00なのでその後寝れなくなってしまう。機内の映画があまり好みでなかったので、持参のipadで「天使と悪魔」を観ながらバチカンの予習。
写真は朝食メニュー。正直言ってビジネスクラスの機内食は期待はずれ。アリタリアは72時間以上前までだが、往路だけ和食が予約できるとの情報をwebで見たような・・・。予約すればよかった。

すでにイタリア上空である。

ローマ国際空港(フィウミチーノ空港、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港とも言う)到着。
ツアーは23名で10組の夫婦と姉・妹・娘の3人組だ。年齢構成は後での想像だが私たちは下から2番目のようだ。70歳以上の方も結構参加されていたようだ。結構なハードスケジュールだったが、皆さん元気。普段からの鍛え方が違うのかな?
添乗員のかなちゃんも頑張った。
到着後にホテル直行。ローマ郊外のフォーポイントバイシェラトンウェストという長い良くわからない名前だが、シェラトンホテルとは別物らしい。

2日目 2011年6月20日(月) ヴァチカン市国、フィレンツェ

ホテルの外装はまずまずなのだが、場所がローマから約20km、簡単にローマ市内に出かける訳には行かない。部屋も狭くちょっとがっかり。同じホテルに帰国前に2連泊する予定。ちょっと落ち込むスタートだった。

翌朝のホテル出発は7:00。朝食はレストランで準備できないとのことでジュースとクラッカーの配給だった。このツアー大丈夫かな?

バスで約1時間弱、ヴァチカン市国に到着。
確か8:00位だったと思うけど、ヴァチカン博物館の入口は既に長蛇の列。ほとんどが外部の観光客だろうが月曜日の早朝からこの混雑とは、さすがに大観光国だけのことはある。

博物館の階段を上がると「ピーニャの中庭」という広場に出る。
中央に見えるのはブロンズ製の松ぼっくり(ピーニャというのだそうな)はローマ時代の噴水だそうだ。
この中庭にシスティーナ礼拝堂のフレスコ画を写したパネルが置かれており、現地ガイドさんがそのパネルを前に説明を繰り広げた。

上の2枚の写真は展示コースの天井に描かれた絵画だが、ガイドさんの目印についていくだけで精一杯。
事前勉強不足で何が何やらさっぱり。
その後、システィーナ礼拝堂に入る。ここはすべて撮影禁止。左は絵はがきをスキャンしたミケランジェロの「最後の審判」だ。中央のキリストに審判を下され、天国に昇る人たちが左側に描かれ、地獄に堕ちる人たちが右側に描かれているとのこと。
礼拝堂は照明も落とされて荘厳な雰囲気だが観光客でいっぱいだ。行きの機内で予習した「天使と悪魔」にもシスティーナ礼拝堂内部が登場している。この映画はキリスト教やヴァチカンに疎い私にはよい事前勉強だったが、ヴァチカンやローマの名所がふんだんに登場する。もっと早く観ておけばよかった。

システィーナ礼拝堂を出てサン・ピエトロ大聖堂に入る。ヴァチカンは10億といわれるカソリック信者の総本山だが、この大聖堂も世界一の大きさを誇っている。

ヴァチカンは1992年にイタリアに来た時には訪れ、既に19年前なのでぼんやりとした思い出だが、この大聖堂には圧倒された記憶がある。
教皇の祭壇はブロンズの天蓋でできている。

クーポラを真下から見上げる。120mの高さは圧巻である。

最大幅約156m。

大聖堂を出て正面から見るとその大きさがわかる。

上の写真では前の建物に隠れてクーポラが見えないが、広場手前(既にバチカン市国外)から見るとクーポラまで見える。

教皇を警護するスイス衛兵。ユニフォームの色は青、黄、赤でデザインされており、美しい。彼は観光客にサービス満点で微笑んでくれている。

広場には前教皇ヨハネ・パウロ2世の巨大なパネル写真が飾られている。大変人気があったそうだ。
大聖堂右側の建物は現教皇の住まう宮殿だそうで、毎週日曜日にはこの窓に姿を現すそうだ。

[ローマ→フィレンツェ]

ヴァチカン見学後、高速道路で一路フィレンツェへ向かう。

高速道路は一部鉄道と併走しており、途中でユースターが抜き去っていった。ローマ~フィレンツェ間を1時間30分で結ぶ。2007年訪問時に乗ったが、ほぼ新幹線と同じで快適だが、大きなスーツケースを持って乗るのは大変。

昼食はフィレンツェ市内のレストランで。
このパスタの後、メインはポークだった。ワインを飲むとつい後の写真を撮り忘れる。ワインはどこでもおいしかった。

フィレンツェ市内はこんな狭い路地がいっぱいある。建物の間にあるツッパリ?は何のためでしょう。まさか壁の傾斜防止ではないと思うけど。

ヴェッキオ橋から見たアルノ川。左手は明日訪問予定のウフィッツィ美術館だ。
川にはカヌーが何艘か、気持ち良さげに漕ぐ人が見えた。

ヴェッキオ橋の商店。貴金属店がほとんど。

ヴェッキオ宮殿。現在は共和国政庁舎だ。前回訪れたときは内部に入ったが、壁や天井は絵画で埋め尽くされていた。
それにしても、この空の青さ。日本は梅雨時だったのでなおさら感じるのかもしれないが、雲ひとつない晴天だった。暑くもあったが、湿度が低いせいか日陰に入ると暑さを感じない。このツアーでは全期間晴天に恵まれ、各地を気持ちよく廻ることができた。これも私を含めてツアーメンバーの日頃の行いがよいのではないかと勝手に思った次第である。

ヴェッキオ宮殿前にはミケランジェロのダヴィデ像のレプリカがある。同じダヴィデ像のレプリカはミケランジェロ広場にもあるが、本物はアカデミア美術館にある。

ドゥオーモ広場にでる。
ドゥオーモとジョットの鐘楼を1フレームに納めるには広角レンズつきのカメラが必要だ。塔の高さは84メートル、階段は414段あるとのこと。2007年には上まで昇って絶景を楽しんだが、今回はその時間も元気もなし。
ドゥオーモ内に入った。ヴァチカンのドゥオーモも素晴らしいが、こちらはこちらで素晴らしい(何を言っているかわからない)

その後、フィレンツェ市外を一望に見渡せるミケランジェロ広場にバスで移動。
ここにもダヴィデ像が・・・。右下はアルノ川を望む、手前の橋はヴェッキオ橋。

今晩の宿泊はフィレンツェ郊外のホテル、ダティーニ。
場所はともかく、清潔そうなホテル。

フロントにはなぜか日の丸が、日本人スタッフもいたような・・・。
部屋はそこそこ広く、なぜかエキストラベッドが・・・。その晩は私が使わせていただいた。
夕食は1皿目がトマトのショートパスタ、2皿目メインがチキンでしたが、もうひとつだった。

3日目 2011年6月21日(火) フィレンツェ・ウフィッツィ美術館 ベネチア

朝食
この日も7:00出発ということでまともな朝食にありつけないかも知れない(失礼?)と思い、持参の非常食ごはん(お湯を注ぐと5分で炊立てご飯になる、結構食べれる)と梅干でおにぎりを作り、軽く食べた後、食堂に行ったのだが、杞憂だった。パンとハムにチーズ、ゆで卵、フルーツはスイカ。
やっと朝ごはんらしいものがいただけた。

今日は昨日が定休日だったウフィッツィ美術館に入るため、再度フィレンツェ市街に戻る。
途中で見たトラックの荷台にはフルーツが・・・、スイカも見える。

イタリア各市街で見るのが、この隙間のない縦列駐車。この写真などはまだ良い方だそうで、前後10cm程で駐車もありとのこと。どうやって出るのかはご想像の通りで、前後ろの車を自分の車で押して隙間を作り、出て行くそうだ。どの車も前後ろはキズだらけ、ちなみにパーキングブレーキは掛けないそうだ。

左はフィレンツェ街中のアパートか?窓の木製シェードとベランダの花がいかにもイタリアらしい。
右写真、何気ない街角にも絵が・・・、3人の男性は下水?のマンホールを開けて点検作業中

イタリアの旗とともに日の丸が・・・。
日本では街中で自国の国旗を始め他国の国旗も見ることはあまりないが、こちらではあちこちに国旗やその自治体の旗を掲揚している。

8時過ぎにはウフィッツィ美術館に到着。
さすがに空いており、スムーズに入場し、中も空いていて数々の名画もゆっくりと鑑賞できた。と言いたい所だが、写真の撮影記録を見ると滞在時間は30分弱、次の目的地ベネチアへ急いで出発しなければならない。ルーブル美術館ほどではないとしても、絵の好きな人は数日かけてもじっくり見たいところだろう。それを30分で出てくるとは・・・。
私はこのツアーの別名を「イタリアつまみ食いツアー」と名付ける事にした。(trapicsさん、ごめんなさい)

撮影禁止なので絵はがき紹介。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」(左)と春(右)

唯一写真撮影の許される回廊から外の風景

アルノ川に映るヴェッキオ橋はイチ押し写真。

フィレンツェからベネチアまで、270km、4時間かけてのバス移動。ベネチア市街入口でバスが街へ入るための入場税?を取られる。大きな観光収入だ。

昼食はイカ墨パスタ、これはおいしかった。デザートのプリンも日本人好み?

ベネチア
いよいよベネチアに入ってきた。リベルタ橋を渡り、ローマ広場に向かう。

トロンケット港(だと思う)に着く。バスはここまでで、あとはボートで本島の中心地まで行く。

本島の運河への入口。ゴンドラはこれをくぐって運河へ入って行く。
右はサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会

サンマルコ広場が見えてくる。右は対岸の教会だが、名前はわからない。

ヴェネツィア本島に到着し、海岸沿いを歩いてサンマルコ広場、そしてドゥカーレ宮殿方面へ向かう。

サン・マルコ寺院とドゥカーレ宮殿

その後、ベネチアングラスの工房見学に。左はベネチアングラス工房入口の橋から。ゴンドラ観光を楽しむ人たちが・・・。
20分程の自由時間が与えられたので、時間があまりないと心配する奥さんを叱咤激励し、迷路のような商店街を抜けてリアルト橋まで行った。右の写真はリアルト橋からカナル・グランデを撮ったもの。1ヵ所くらい自分で観光しないと気がすまない私です。

サン・マルコ広場には様々な店が並んでいる。カフェでは写真のように音楽を奏でている。このカフェの広場をはさんだ反対側には1720年創業、欧州で最初の喫茶店といわれる「カフェ・フローリアン」がある。恥ずかしくて写真は撮れなかった。

船着場には名物のゴンドラへの乗り場がある。このツアーにはゴンドラ観光が入っていない。
写真のタイムスタンプを見るとベネチア本島滞在時間は2時間だった。駆け足ツアーだから無理もないか。

今夜の宿泊はベネチア郊外ヌエンタディビアヴェのホテル「ベースホテル」
名前から(旅の)基地、基本みたいなイメージだが、清潔で簡素、シャワーのみのベーシックなホテルだ。

夕食はホテルのレストランで。トマトソースのショートパスタとメインはビーフ。
ホテル、食事ともだんだん良くなる気がする。

4日目 2011年6月22日(水) ミラノ観光 ミラノからナポリへ

朝食もこちらでは当たり前のベーシックメニュー。パン、チーズ、ハム、卵、ちょっとしたフルーツにコーヒー。これ以上を望んではいけないのだ。

朝食の前に少し時間があったのでホテルの外に出てみたが、郊外の住宅地で周りには何もなさそう。
玄関前に右下写真のオブジェがあった。何を意味したオブジェか良くわからないが、ツアーメンバーがひょいと腰掛けたらグラッと傾き、元に戻らなくなってしまった。ホテルのスタッフが慌てて出てきたところだ。

ミラノは1992年、2007年と2回のイタリア訪問で、共にホテルに泊まるだけで街は殆ど見ていない。
今回のミラノは泊まりはないものの観光があるので、期待しよう。

日本でも富山ライトレールなど、最近は洒落たトラムが走っている。ヨーロッパではアムステルダムやこのミラノなど乗ってみたくなるトラムがいっぱい走っている。
右はミラノ以外でも良く見かけたお洒落なミニカー。Smartというらしい。日本にも入っているようだ。

ミラノ中心部に入ってきた。
ここミラノにも有名なドゥオモがある。ビルの間に見えている。
現在は補修工事をしているようだが、真ん中の高い尖塔の上には黄金のマリア像がある。
右の写真はバスの中から望遠を目一杯効かせて撮った黄金のマリア像だ。

バスを降りて、観光の前に昼食となった。
店は「マンハッタン」。店内も洒落ている。帰ってからwebで検索すると「おいしいお店」との評価があり海外版「ぐるなび」でも評価が高かった。
右は一皿目、サフランのリゾット。奥さんは「このくらい芯が残っているほうがいい」とのこと。

二皿目のメインは名物、ミラノ風カツレツ。
こういう食べ方もいいなという気持ちと「とんかつソースありませんか」という気持ちが交錯した。
デザートはティラミス。これも甘すぎずおいしかった。総評として○。

レストランを出るとレンタサイクルがあった。このレンタサイクルは、観光客用というより、通勤・通学用で、このシステムによって車を減らそうとしているとのこと。
ミラノのトラムは石造りの建物に良く似合っている。

先ほどバスからチラッと見えたドゥオモ。大きさから言えば世界第3位だそうだが、14世紀に着工され完成まで500年かかっているというから驚きである。ゴシック建築の大傑作であるが、135本ある尖塔の上にはそれぞれ聖者像がのっているのだ。圧倒される建物である。ガイドさんの「写真を撮ったら次に行きますよ」の声に、「エエッ、中に入らないの?」と思わず心の中で絶叫! そんな、あんまりですよ。

ガイドさんに急かされて向かったのは、ドゥオモの左側先にあるヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリアだ。ミラノを象徴するアーケードで、両側には一流ホテルもあり、プラダなどのブランドショップからマクドナルドまで様々な店が並んでいる。何よりも天井のガラス屋根が見事だ。

ここも説明をイヤホンガイドで聞きながらの通り過ぎ観光だ。今日はナポリまで飛ぶんだもんね。
きれいなカフェがあるかと思えばアーケード真ん中で補修中。ガテンな女性作業員もミラノではなぜか洒落て見える。

ガレリア・アーケードを抜けるとオペラの殿堂、スカラ座。その前にはレオナルド・ダ・ヴィンチ像。

お土産やさんに立寄った後、空路ミラノ空港からナポリへ、1時間半の飛行だった。この機体はかなり小さく、通路は1人がやっと通れる幅しかなかった。それでもドリンクサービスはあるから、その間はトイレ移動は不可。

ナポリの空港に到着。スーツケースを待っているところだが、大きなシェパードがうろうろ。どうやら麻薬犬のようだ。イタリアの空港で初めて見たが、さすがマフィアの・・・と思ったら失礼か。
外に出るとイタリア女性がタバコをプカプカ。喫煙女性は良く見かけた。

空港からナポリ市街に向かう。窓から見えるのは、かのヴェスヴィオ山。

ホテルに入る前に夕食となった。メインメニューはピザ。
まずはモッツアレラチーズとトマトの前菜。
喉が渇いていたのでここはビールで乾杯。
しばらく待つと、ナポリ名物「マルゲリータピザ」の登場だ。写真の見た目は美味そうだが、なぜか現実はそれ程感激の味ではなかった。イタメシ続きで食傷気味だったのかもしれない。
店には窯があり暑さに負けずにお兄さんが次々とピザを焼いていた。

ナポリのホテルはこのツアー初の2連泊となる「サンタンジェロ」。部屋はまずまず。

ところがシャワーのみはしょうがないとしても配水管が細いのか水量を多めにすると水がどんどん溜まってくる。ナポリ中央駅前のホテルだが外を見ればごみの散乱。添乗員に注意を受けなくても外出する気にはなれない。

5日目 2011年6月23日(木) カプリ島 ポンペイ遺跡

ツアーも5日目となり後半に突入だ。後半の大きな期待はカプリ島・青の洞窟だ。私たちは入ることが出来るだろうか?
左の写真はナポリ港近くにそびえるヌオーヴォ城だ。
ナポリらしいポスターの前にはナポリ女性が・・・。

港には巨大なクルーズ船が停泊。ベネチアでもそうだったが、ヨーロッパからの地中海クルーズらしい。カプリ島、ポンペイなどでそのツアー客集団と遭遇した。

ナポリ港からカプリ島までは高速船で約1時間。
船内は日本人ツアー客だけでなく、欧州からの観光客、イタリア人と思われる客で満杯だ。

カプリ島の港では、船を利用する様々なツアーが案内されている。港はカプリ島周遊ツアーへの欧州客と青の洞窟行きの日本人ツアー客がごった返している。青の洞窟へは25人乗り位の小型ボートで行くのだが、入れる順番はここの港でグループがいかに早くまとまってボートに乗れるかによるそうだ。

私たちのグループ他はひとまとまりになり、一路青の洞窟に向かう。カプリ島周囲は断崖絶壁に囲まれ、崖の上にホテルが数軒。そのホテルのオーシャンビューはさぞ素晴らしいだろう。

いよいよ青の洞窟入り口に着く。洞窟の入り口は海上に幅2m程、高さ1m弱の半円形で顔を見せている。漕ぎ手を含めて5人乗り程度のボートしか入れないのだ。それも多分50cm以上の波があれば頭がつかえて無理である。今日は次々とボートが出入りしているので、何とか行けそうだ。
グループの途中で波が高くなって入れなくなってしまい、グループ内の雰囲気が険悪になってしまう事もあるとか・・・・。
海上には私達のようにボートに乗り移る順番待ちのモーターボート。水着姿のレジャーボートのグループ、そして洞窟に入る順番待ちの手漕ぎボートでごった返している。

他の場所でも見たが、ここにも「頑張れ日本」のメッセージが・・・・(右下写真)
無事に手漕ぎボートに乗り移って(たまに乗り移り損ねて海に転落する人もいるらしい)、待つこと約30分(波があって洞窟へ入るペースが遅くなり、2時間近く小船で揺られ、船に弱い人は散々な目にあう事も・・・)、小船の漕ぎ手はオールを洞窟入り口のチェーンに持ち替えて、掛け声(よいしょとは言わなかった)とともに洞窟内へ。

「青の洞窟」の仕組みは、岩に開いた海上に顔を出している穴ともう一つ海中に穴があるらしい。その海中の穴から太陽光が洞窟内に差込み、岩肌に当たって美しい青色を放っているのだそうだ。従って、洞窟の奥は真っ暗。ボートが反転して入り口へ向かうと、このように海中は美しい青色となる。実際に見る美しさはとても写真やビデオでは表現しきれない。

冬場は荒れるので入れる可能性は低く、4月位で3割?夏場でも8割位だそうだ。私たちはラッキーだった。
こんな幸運もあり、「つまみ食いツアー」とか何とか言っていた私のこのツアーへの評価も、後半になってどんどん上がってくる。

その後、私たちのグループは洞窟脇の階段から上陸し、バスでアナカプリの街へ向かった。
アナカプリからリフトに乗り標高589mのソラーロ山に登る。頂上まで15分ほどだが、アナカプリの街並みが一望でき実に爽快だ。

頂上からはカプリ島全体がパノラマで見渡せる。

カフェではおいしそうなジェラードが・・・
リフトで降りるときにすれ違ったお兄さんはワンちゃんを腕に抱いて・・・
だれかカプリ島に別荘をお持ちの方はいませんか?(右下)

昼ごはんはリフト乗り場近くのレストランへ。
まずはビールで乾杯、イタリアはここに限らず生ビールの方が瓶ビールより断然うまい。
メニューはシーフード・リゾット、白身魚のムニエル、デザートのジェラードだった。ここはおいしかった。

ツアーはこの後、カプリの港まで戻り船でナポリまで戻る。帰りの船は行き以上に満杯で席がないので仕方なく2階のVIP席へ、空いていたのでそのまま座らせていただいた。VIP席とは言ってもシートが多少上質でリクライニングする位で、幾らするのか知らないがVIPと言う程のことはなかった。
ナポリから約1時間でポンペイの街だ。
ポンペイ遺跡入口近くの屋台?では小さめのグレープフルーツで形はレモン(名前がわからない)を絞ってクラッシュアイスに注いで売っていた。

ポンペイ

ポンペイは前回2007年に訪れている。そのときはローマから7人のオプショナルツアーだった。

左の遺跡入口を登り、少し歩くとフォラムと呼ばれる広場があり、柱廊で囲まれた長方形で、おもに公共の催しの場として機能していたといわれている。

左は市場の跡。右はよく紹介される公衆浴場。

左上は居酒屋、右上はパン屋だったそうだ。
居酒屋にはワインを入れる壷の穴がありパン屋にはパンを焼く釜がある。現在でも同じ造りで営業できそうだ。
ポンペイは標高そこそこあるように見えるが、当時はすぐ前が海だったそうな・・・・

ポンペイ観光の後、ナポリ市街に戻り、バスからの車窓観光。治安が悪いからか降りての自由散策は許されなかった。
唯一バスを降りて写真ストップをしてもらった、サンタルチア港の卵城。

ホテルに戻り、夕食。
メニューはショートパスタとメインのポークだったが、メインは写真を撮る気にならなかった(察して!)。

6日目 2011年6月24日(金) アマルフィ マテーラ

ナポリのホテルは、部屋、食事、環境とも今回のツアーでは最下位と思う。朝食も固いパン、チーズ、ハム、卵はあったかな?、程度で、この写真のみに留める。

今日のメインはアマルフィ海岸と洞窟住居のマテーラだ。
距離も走るが海岸沿いの曲りくねった道を走るのでスピードが出せない。出発は7:30早朝となった。
ナポリから海外沿いにソレントへ向けてバスはひた走りに走る。

ソレントからアマルフィに向けての海岸沿いは、日本で言えば伊豆半島か?(伊豆半島で興醒めする人もいるかも知れない)
それはともかく、目の覚めるような空と海の青さ、断崖に張り付く様に建てられた建物の白、木々の緑。この美しさは写真ではなかなか伝わらない。

バスはアマルフィ海岸を約1時間ばかり走りポジターノという街の手前でトイレ休憩となった。
世界的に有名な高級リゾート地だそうで、下の写真のようなリッチな別荘が多く集まっている。
休憩所にはなぜか唐辛子をいっぱい吊るした屋台が・・・・。

ここには、カプリ島の「青の洞窟」に対抗?して、「エメラルドの洞窟」と言うのがあり、ツアーメンバーは試してみることにした。
添乗員のカナちゃん曰く「ここにはイケメンのボート漕ぎのお兄さんがいて、ミナサーン、メッチャキレイと言いますけど、彼が言っているのは海の色のことで(皆さんの事ではありませんから)カン違いしない様に」との注意がある。

その言葉どおり、「ミナサーン、ミテミテ!メッチャキレイヨー!」と変な関西弁風でお兄さんは叫ぶ。おまけに歌のサービスも・・・・。写真では青っぽくなっているが、確かに美しいエメラルドグリーンだった。

こんな崖っぷちにどうやって建てたのだろうと思われるホテル?があちこちに・・・・。部屋からの眺めは最高だろう。。

この旅行の少し前に織田裕二と天海祐希の「アマルフィ」をDVDで観た。この映画ではアマルフィ海岸だけでなくローマの街も美しく撮られている。私達のように車窓から眺めただけのアマルフィと1泊なり泊まって石造りの文化を味わうのでは印象がだいぶ違うような気がした。
海岸では既にバカンス真っ盛り。水着で泳ぎや日光浴する人たちがいっぱい。

道路沿いにはレモンの木(私ははじめて見た)がいっぱい植えられ、実が成っている。

昼食はアマルフィ海岸を過ぎたあたりのこぎれいなレストランで。
お店のサービスでフリッター?が出されて、なかなか美味しかった。ここの白ワインもリーズナブルな値段で美味。私は白ワインが好きなのだが、今回の旅行ではほとんど外れがなかった。

パスタは、ちょっとモチモチ感のあるシーフード、2皿目は(確か舌平目の)ムニエル。
このレストランは皆美味しく、満足だった。

その後、3時間くらいかけてマテーラに向かう。
途中の高速道路脇のホテル(周りにほとんど民家はなく泊まるのはちょっと考えてしまう)併設の肉、チーズ、スナックなどを置いているお店でトイレ休憩。トイレには鍵がかかっており、カナちゃんがお店の人から鍵を借りてきた。

外を見ると高速の向こうに風車やソーラーパネルが・・・・。そう言えば、イタリアは国民投票で原発反対派の票が9割以上を占めて圧勝したのだった。

バスはマテーラに着き、降りて街中に入る。
マテーラは洞窟住居の街だ。
展望台から旧市街を眺めると、多くの洞窟住居が見える。
左下は洞窟協会だ。上部の岩の上には十字架が見える。
右下は洞窟を利用したホテルの案内。

当時の洞窟住居の生活を再現した資料館に入る。ベッドの下の引出しに赤ん坊を寝かせていたとか・・・
左奥には洞窟が続き、家畜を飼っていた部屋、ワインなどの貯蔵庫が奥に続いている。説明では、家畜との同居で不衛生なため疫病の発生などがあり、政府の政策で住民は新たな住居に移住したとのことだ。
温度計を見ると21℃である。涼しい。

外に出ると太陽光線は強く日向にいると肌がじりじり焼ける。気温は34℃。

マテーラから再びバスで今日の最終目的地、アルベロベッロへ。
アルベロベッロは、円錐形の屋根を持つトゥルッリで有名なところ。アルベロベッロの街に近づくにつれ、畑の中に作業小屋に使われているトゥルッリがあちこちに見えてくる。

アルベロベッロの今夜の宿、ホテル・アストリアだ。部屋は広く、清潔、バスタブもあり、部屋にかかっている絵もモダン。街中にあり、夜の外出も可能。今回のツアーで私の評価第1位だ。

夕食はホテルのレストランで。今日はマテーラでの歩きもあり、ビールにしたが、ここの瓶ビールはなかなか旨かった。メニューは耳たぶパスタとチキン、フルーツのデザート。ここのチキンはおいしかった。

7日目 2011年6月25日(土) アルベロベッロ 再びローマへ

翌朝、朝食前に近くのアルベルベッロ駅に行ってみた。
田舎のローカル駅で時刻表を見ると30分から1時間間隔で列車(非電化)が来るようだ。
たまたま来た列車はなかなか洒落たコミュータ・トレイン。

この街はナポリとは反対側のアドリア海側になるが、風が涼しく街歩きも実に爽やか。

朝食はシンプルながら、パン、チーズ、ハム、ベーコン、卵、(色は赤いがオレンジ)ジュース、コーヒーとおいしく充分だ。ベーコンには軟骨が入っていて、コリコリしておいしい。

朝食後、徒歩にてアルベロベッロ観光に出かける。ちょっと歩くとそこら中にトゥルッリが゙・・・
円錐形の屋根は板状の石を鱗のように積み上げて形作られている。

昔ながらのオート三輪があったり、あちこちに絵になる風景が・・・・。右の奥はレストランらしい。

展望スポットに上がると、周囲のトゥルッリ群が見渡せる。

屋根に紋章のあるトゥルッリ。紋章の意味は色々らしい。右は教会。

トゥルッリ見学の後はお土産やさんに。右は陶器のニワトリの形の笛で、幸せを呼ぶそうな。

お土産ディスプレイの下でたたずむワンちゃん。右のレストランも絵になる風景。APERTO=OPEN

街歩きでさすがにちょっと暑く甘いものが食べたくなり、ガイドさんお勧めのアイスクリーム屋さんに。
2種類をのせてもらい、店の外のテーブルでホッとするひと時。今までのツアーが慌しかったせいか、旅慣れしてきたのか・・・・。

市役所らしい。右は市の紋章で、甲冑の騎士が、樫の木を隔てライオンと対峙している絵だ。

なぜかこの街で見かけるレトロなオート三輪。右はミラノでも見たお洒落なミニカー、Smart。

昼食はトゥルッリ屋根のレストラン。天井はやっぱり中央が高くなっていた。

前菜はほうれん草とイカだったか?メインはスズキのムニエル。前菜とデザートのみでメインの写真を撮るのを忘れてしまった。

昼食後ローマに向かうが、これがこのツアー最長のバス移動で520km、7時間30分(東京~大阪間か?)という長旅である。

途中、ようやくトイレ休憩を兼ねたお土産やさんへよる寸前、イタリア警察の検問にかかってしまった。
風貌はマフィアかと見える警官は乗客名簿をチェックした途端、一番若い女性と次に若い女性の、バスから降ろしてまでのパスポートチェック。他の女性から「私のもチェックして欲しい」との声多数。結局、運転手は30分近くにわたる(労働時間がどうの、1日の運転距離がどうのとかいう)尋問?を受けて無事解放。よほど暇だったのか?

お土産やさんは経営者の奥さんは日本人という、親しみやすい店だ。
食品が充実しており、左は添乗員カナちゃんお勧めの全長1.2m(2つ折りで約60cmなので、ちょうどスーツケースに収まる)の超ロングパスタ。帰ってから早速試したが「モチモチ感がたまらなく美味しいですよ」の言葉通り。アンチョビを加えたトマトソースに良く合う。イタリアでもここしか売っていないとの事だったが、インターネット・サイトを調べてもどこにも情報がない。誰かご存知だったら教えていただきたい。

いきなりトイレで恐縮だが、イタリアの(男子の大と女子)公衆トイレでは便座のないことが結構ある。男はホテルまで我慢するとしても女性はどうするのか?
イタリア女性に、機会があれば失礼のないように実情を聞きたい。

夜8時頃だったろうか、ようやくローマ近郊のホテルに到着。初日と同じフォーポイントバイシェラトンウェスト・ホテルだ。
初日の部屋の写真と比べたらわかるが、部屋は今回は約2倍くらい広い。設備も初日とはだいぶ違う。
Trapicsさん、最後で点数を稼いだかな?

夕食のレストランもなかなか洒落ている・・・・、ところが料理がいけない。
「こちらのスープは汁気があまりありません」とは聞いたが、これはいったい何?(右上)
メインのビーフ(左下)もちょっと・・・。最後はケーキだった。

8日目 2011年6月26日(日) ローマ

食事のひどさは朝も同じ。(これは記録なので悪しからず)
メニュー品目は前泊のアルベロベッロと似ているが、質は比較にならない。おまけにアジア系(自分もそうだが)と思しき非常に五月蠅いツアー団体といっしょで参ってしまった。朝食くらい静かに食べれないのかな。

気を取り直して観光に出発する。
最初はサンピエトロ寺院、ウフィッツィ美術館の休館日の関係で初日に訪れたので、ここでは省略する。

次はトレビの泉だ。
ここは1992年、2007年と過去2回来ている。前2回とも肩越しにコインを投げ入れたおかげか、また訪れることが出来た。今回もまた投げ入れてきたが、次回はいつ来れるだろうか。

トレビの泉から街中をしばらく歩くとスペイン広場に出る。
「ローマの休日」で有名。私は何回見たかな?好きな映画だ。
スペイン階段を上り正面に見える通りはブランド店が軒を連ねるコンドッティ通りだ。

その後バスでメトロのレプップリカ駅近くまで行き、「ローマ三越」で休憩と買い物。日本のデパートでホッとし、しばし休憩する。
左の写真はローマ三越内にある「真実の口」のレプリカ。右の本物と比べるとちょっと違う。

ツアーは三越で一旦解散し自由行動となったが、昼食までは一緒にということで、三越からテルミニ駅横を通り・・・・というレストランへ。
リーズナブルなランチセットがあり、私はサラダ、ローマでぜひ食べようと思っていたスパゲッティ・カルボナーラを注文。食後のコーヒーが付いて7.5ユーロ、ビールを入れても10ユーロ余りは安いと思う。

その後は、T、Yの両夫妻、姉妹娘3人組の計9人で、前から申合わせの小グループツアーとなる。
コースは、テルミニ駅→コロッセオ駅→コロッセオ見学→フォロロマーノ横を歩き→真実の口→チルコマッシモ駅→レプップリカ駅→三越、だ。
まずは地下鉄のチケットを自動券売機で買う。最初はちょっと戸惑うが、慣れると簡単だ。

テルミニ駅はA線、B線が交差しており、目的地への電車の方向がちょっとわかりにくいが、通りがかりのお姉さんに聞いたら親切に教えてくれた。車両は比較的新しくきれいだった。
コロッセオ駅を地下から出ると、目の前がコロッセオだ。混んでいそうなのと真実の口までの時間や待ち時間が読めなかったので、今回も(前回も入場していない)入場は諦めた。
右はコンスタンティヌス帝の凱旋門だ。

通りがかりのフルーツ屋さん。ここのスイカは結構大きい。

フォロロマーノを横手に見ながら歩いていくと、チルコマッシモに着く。
ただの広場かと思ったら、ローマの古代遺跡で10万人以上収容できたと言われる大競技場の跡だそうである。映画「ベンハー」での戦車レースもここで行われたとか。

ここの端まで来ると、ようやく真実の口があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会にたどり着く。
ここも「ローマの休日」であまりにも有名だが、これはローマ下水道のマンホールの蓋というのも、よく知られている
教会内は地味だが良い雰囲気。

またフォロロマーノを横手に見ながらチルコマッシモ駅に向かう。
雲ひとつない晴天なので、気持ちは良いのだが暑いので、早く三越に戻って休憩という事になった。

三越でトイレ、水分補給、休憩の後、私たちとY夫妻は私が以前から行こうと思っていたスーパー・マーケット「ズマ」に行くことにした。
途中に大きな美しいこの教会があるのだが、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂かと思ったら、資料で調べると外観が違う。

ともかく、迷わずスーパー「ズマ」に到着、食品買い物ツアーの開始だ。
写真は骨付き生ハム。肉コーナーに山ほど吊るしてあったが、残念ながら日本に持ち帰れない。
パルメザンチーズやらポルチーニ茸、アンチョビ、パスタスパイスなど等、持ち帰れるイタリア食材をリュック一杯買ってしまった。

この後、T夫妻、女性3人組と夕食に行こうと待ち合わせていたが、少し時間が有ったので共和国広場近くのサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会へ。廃墟のような外観はミケランジェロのデザインだそうだ。

夕食はガイドブックで調べた評判の良さそうなピッツェリア「エスト!エスト!エスト!」へ。
カナちゃんに電話予約をお願いして店に7時半(イタリアは開店が遅く、ここは7時)に店に入ったが、客は私たちだけ。
日本人も良く行くので、日本語メニューや日本語店員を期待したのだが、まったくダメ。
英語がようやく併記されたイタリアンメニューとたどたどしい英語をしゃべるイケメン店員とオーダーの格闘となったが、何とかクリア。

7人中、アルコールを飲まない人が3人もいるのにビールのほかワイン2本(1本は店の名前と同じ「エスト!エスト!エスト!」)もあけてしまった。
最初はガラガラだった店内もいつの間にか満席に。店を出る頃には外で待っている客も・・・・。
さすが評判が良いだけあって、どれも美味しかった。値段はびっくりするほど安かった。
ホテルまではタクシー2台に分乗する事にして、地下鉄駅近くのタクシー乗り場まで行き、値段交渉。あらかじめホテルまでの料金の目安(30~40ユーロ)をカナちゃんに訊いており、ドライバーにホテルの場所を告げ値段を訊くと40ユーロとの事。即座に35ユーロを提示して交渉成立。私が乗った車のドライバーは27歳の独身兄ちゃんで楽しい男だった。
イタリア最後の晩餐は(自己満足ながら)最高だった。

9日目 2011年6月27日(月) 成田へ 帰国

いよいよ最終日、帰国の日となった。
11:00の出発までフリーなのだが、何せローマから20kmもあるので市街まで言って来るわけにはいかない。散歩がてら近くのスーパーをのぞきに行くことにした。
歩いて10分もしない所の団地の1階に食料品店があった。入ってみると昨日のズマほどではないが、様々な食材がある。ポルチーニ茸オリーブオイル漬けも1.65ユーロ(約200円)と安い。

予定通りバスでローマ空港に到着。
私たちの便はアリタリアAZ784、15:10発だ。
帰りもビジネスクラスなので、チェックイン後、時間までラウンジで過ごすことにしたのだが、客が一杯で座る所も少なく、ようやくサンドイッチとワインを確保した。こんなこともあろうかと、今朝ホテルで持参した最後の非常食(まぜご飯)でおにぎりを作り持って来ていたのが正解。久し振りの日本のご飯はおいしい。

飛行機は定刻どおり離陸。
離陸後しばらくして出る夕食メニューは、往路とは多少違う。
パン、チーズ、生ハムの前菜と1皿目のラビオリと平打ちパスタ。メインはミラノ風カツレツ、蒸し煮野菜・・・。

今回はビールも試してみたが、結構良い。デザートはフルーツ。

そして飛行機は定刻どおり、10:20成田空港に着陸。
長いと思った10日間の旅行は、終わってみればあっという間だった。

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